「Oaiko的2020年代オルタナティブロック史」について思った事を
揶揄して終わるのも良くないのでちゃんとした言及をしますね。
オルタナティブロックとは何ぞやってのはここで説明するよりググってもらった方がいいかなと。
私より詳しい人が解説を書いてますしWikipediaもざっくりですが把握はできると思います。
それで、記事で紹介されている音楽の数々は、元来のオルタナティブロックと呼ばれていた音楽からは変化・多様化している訳で、それを何故オルタナと呼んでいるのか、その根拠の部分がすっ飛ばされているように感じます。
オルタナじゃないって言いたい訳じゃなくて、判断基準が気になるんですよね。
文脈や定義が曖昧なままいきなりオルタナだ、オルタナじゃない、ギターロックだ、シューゲイザーだ、エモだ、マスロックだとか言われてもまず疑問が湧いてしまいます。
流行っている以上ライトなリスナーも読む訳で、その辺をもう少し丁寧にやってくれたらなーと思いますね。オルタナって定義が曖昧かつ形骸化してるところもあるので。
正直なところ、記事内での「オルタナ」は、読んだ限りでは「Oaiko周辺のロックバンド」以上の意味を持たないように感じました。
それらの音楽の呼称がまだ無いという問題もありますが、あえてオルタナティブロックという言葉を使う意義があるのかなとも思ってしまいますね。
いっそ括るのであれば「Oaiko系ロック」でも良い気がしますけどね。雑ですかね?
それはそれとして、Oaikoが言うオルタナの現在の盛り上がりも先人たちが積み重ねてきた活動の上に成り立っている訳で(先人の中にはオルタナティブと呼ばれる事を嫌う人もいますが)、「オルタナティブロック史」と銘打つのであればその繋がりに軽くでもいいので触れるのがベターじゃないかと思います。
(全く触れてない訳ではなく、少し遡って残響系とかには触れてましたが)
Oaiko的2020年代オルタナティブロック史
— Oaiko (@Oaiko_info) 2026年5月16日
2020年代の日本における邦楽オルタナティブロックの潮流を、Oaikoなりの視点で解説。
あなたが好きな音楽はどんな歴史の中で生まれた?https://t.co/FpUSn3AlDl pic.twitter.com/Nwb5B1piwx
「オルタナティブロック史」というタイトルや「あなたが好きな音楽はどんな歴史の中で生まれた?」という謳い文句と内容の乖離も気になる所です。
申し訳ないですが正直な心情を述べると歴史の話が無さすぎてちょっとガッカリでした。
また、オルタナティブロックは反商業主義の側面もあるので、流行りやバズり、という元来のオルタナティブとは相反する価値観の切り口がメインで語られる事には違和感を覚えます。現に盛り上がっているのは事実なので、触れておくべきだとは思いますが。これに関しては言い方が良くなかったのかなとも思ったり。
そして過去最も盛り上がっていたとされる90年代のUSオルタナは流行と共にメインストリームに取り込まれ下火になっていったという経緯があるので、Oaikoにはそれを繰り返してほしくないなという懸念もあります。これが一過性のブームで終わらない事を願います。杞憂ですかね。
懸念点はまだありまして、「インディー/オルタナティブシーンを牽引するレーベル」を標榜しておきながら上記のような疑念が生じている事です。これが一般リスナーのラフな雑談ならそこまで目くじら立てません。
記事内でも「当事者意識」という言葉が出ましたが、発言力を持ったメディアであり、アーティスト達と協力関係にあるレーベルであり、多くの人々の価値観に影響を与える存在としての自覚はあるのかなと正直思ってしまいます。悪いですがジャンルを背負ってる割にはいい加減な認識で話してるな〜って思っちゃうんですよね。本当はちゃんと考えてるかもしれないですが少なくとも記事からはそれが伺えませんでした。「インディー/オルタナティブシーンを牽引するレーベル」として頑張ってほしいところです。
「Oaiko的」「Oaikoなりの」って部分も加味したいのですが、何をもって「Oaiko的」「Oaikoなりの」なのかが不明瞭なので何とも言えないんですよね。そもそも私のような外部の人間に向けた文章ではなかったのかもしれませんが。
ここまで文句ばかり書いてきましたが、悪い記事という訳では決してないです。
2020年代のSNS上におけるバンドの流行り方、そして現在進行形で起きているムーブメントの記録としてはとても価値のあるものだと思います。誰かが語らないと風化してしまうので。
一つのシーンの紹介として、新たな音楽を知るための情報源としても非常に有用だと思います。
Twitter上では好きなバンドが挙がってない事に不満を言っている方々が散見されますが、漏れがあるのは仕方ないでしょう。(言い出したらキリないですし…)それを踏まえつつ記事に出ていないバンドの話をするのは補足情報が増えるので良い事ではないでしょうか。
ジャンル論も面倒臭いとかどうでもいいとか老害乙とか言われますが、根拠さえ示せば建設的な話ができるのでガンガンやればいいと思います。むしろ思考停止して冷笑に走る方が良くないと思いますね。
オルタナとは何ぞやという問いは繰り返されるべきだと思います。定義が曖昧かつある意味形骸化しているとも言えるジャンルだからこそ。
note.comまた、Oaiko代表のシンマチダさんがインターネット(インターネット以外もあるかも)上の反応を受けて記事を投稿していましたが、主観的な視点からのアーカイブという点は非常に腑に落ちましたし、上がった声に対して対応できる方という事が分かって安心しました。ありがとうございます。
そんな感じです。意見や質問があればここのコメントでも、Twitter(@t_sakaguchi1119)のリプやDMでも、メール(mfrt125rf@yahoo.co.jp)でも受け付けます。それでは失敬。
20260329
帰り道、電車で新宿駅を通りかかった。
駅前ではプロテストレイヴが開かれているらしい。
俺は高市やトランプに対しては反感を覚えている。最悪だ。反戦運動にも賛同する。
ただ、レイヴ参加者の言葉や掲げているプラカードを見ると、論理が飛躍していたり扇動的だったりしていて、ここに加わるはできないなと思ってしまった。
参加して、その結果起きる事の責任は、俺には取れない…というか、一緒にされたくないとさえ思う。個人主義、自由主義の点では連帯というものに反感を覚えるところもある。
…しかし、一人の左派として、世の中に訴える方法として今回のレイヴは重要だし、参加する価値はあると思う。それに、こういった活動を冷笑している一部の右派と一緒にされたくないというネガティヴな方向の気持ちもある。でも…。
ここまで書いて思ったが、こんな保身混じりの内省をグダグダ書くぐらいなら自分の論を述べたり、読みかけの左翼史を読んだり、政治に詳しい知り合いと話したりした方が建設的だ。俺はまだまだ思想が弱い。
結局、新宿駅からは出ずに自宅へと向かった。申し訳ないと思いつつ。
まあ、そもそも、こんな世界に、こんな日本に、誰がしたんだよって話だが。
ディスラプションの海鈴!?
ディスラプションの海鈴!?
花咲川女学園1年B組の八幡海鈴!?
海ラプションのディス鈴!?
ケツラプションの海鈴!?
SOUL'd OUTのDiggy-MO'!?
Cap'n Jazz、Owls、Owen、Joan of Arc、The One Up Downstairs、American Football、Their / They're / Thereのマイク・キンセラ!?
ホームセンターのコメリ!?
市役所の職員!?
DESTRUCTION BABY!?
インド人を右に!?
絶対コレは買いの絶対って何!?
ミッドナイト・クラクション・ベイビー!?
人生って無意味!?
ディストーションのつまみ!?
CAN YOU FEEL!?
アニメ「BanG Dream! Ave Mujica」を視聴した
アニメ「BanG Dream! Ave Mujica」を視聴した。2回。
1回目はリアルタイムで見たのだが、展開の速さやインパクトの大きさ、疑問を残す終わり方などにより腑に落ちなかったが、じっくり再視聴したところ自分なりの考え方がまとまってきた。
このアニメでは
①境遇・運命への反抗
②刹那的な美しさ
が描かれていると受け取っている。
まず、① 境遇・運命への反抗について。
子供は親を選べないという言葉があるが、アニメ内ではそれぞれのキャラクターが生まれた環境に翻弄される様が描かれている。
祥子は母親の死、父親の失脚などの不幸が重なり、経済的事情での転校やCRYCHICからの脱退をせざるを得なくなるという理不尽な目に遭う。
11話ではその元凶が初華(初音)であった事が明かされるが、元を辿れば豊川家が一番の元凶である。
祥子も初華も、罪のない子供なのだが…。何故彼女達が生まれというどうしようもない事象によって苦しまなければならないのか?
そんな運命論に対する抵抗、というのが一つの大きなテーマではないかと思う。
また、睦はにゃむとはという対照的に描かれている。一言で言えば天才と努力家。
芸能人の子供として生まれ、女優の母親からも恐れられる程の才能を持ちながらも、愛されず育てられ心を病んでいる睦。
一方、にゃむは家族に愛されながら育ち、タレントとしての成功を目指しひたすらに努力を重ねるが、睦の才能に打ちひしがれる。
睦は都内で実家暮らし、にゃむは福岡から単身上京し一人暮らしというのも対照的。
アニメの中で明確な結論は出ていないが、睦に関してはそよや10話以降での海鈴といった寄り添う人の存在が救いであり、にゃむはAve Mujicaを通して睦という才能と逃げずに向き合い続ける、という所に着地したと受け取っている。
海鈴に関しては、恵まれた家庭に育つも後天的に心に傷を負っているケースだろう。
祥子の誘い文句だったにせよ、人生を賭けられるバンドが見つかったというのが海鈴にとってはAve Mujicaに居る理由なのだと思う。
ちなみに筆者はAve Mujica編での海鈴の描写に納得していない。
It’s MyGO!!!!!9話の「応援してます」や学校での立希とのやり取りでは、クールでありつつも情に厚く思慮深い印象を受けたため、Ave Mujica編での浅ましさには正直違和感を覚えている。ユーモラスなキャラとして描くのは良かったと思うが…。
あとあのケツは何?
…愚痴になってしまった。
それから、② 刹那的な美しさについて。
まず、先述の「運命論への抵抗」の結論が12話であると受け取っている。
いつかは終わるという事を悟りながらも夢を見る、という。
祥子の「私が神になります」は正直面食らったが、その前の「神様などいない。ですから」を踏まえると腑に落ちる。救いの無い世界でのひとときの享楽、それが彼女なりの抵抗なのだと思う。
13話で祥子が口にしたcarpe diemという言葉がこれをよく表している。
そして、13話のラストを飾る挿入歌「天球(そら)のMúsica」でリフレインされる詩、「人は忘れてく/いつかは消えてく」には万物流転もしくは無常観が表れている。
「天球(そら)のMúsica」の歌詞には終わりを感じさせるフレーズが多いが、それを嘆くような表現は無く、むしろ終わりを悟りながらも美しくあろうとしているように受け取れる。
It’s MyGO!!!!!で掲げた「一生」というテーマとは逆…深読みすると「人生を預けたのだから死んでも構わない」という思いがあるとも言えるのではないだろうか。
最後に、12話が好きなのでちょっとその話を。「星が好きなのは、初音ね」という台詞が非常に好きだ。ずっといないものとされ、自らを偽り、自己嫌悪と共に生きてきた初音の存在が初めて肯定されたという事に胸が熱くなる。自分が生きていていいという事…それを当たり前だと思う人もいるが、そんな救いが必要な人もいるのだ。
気付いた事や未だに腑に落ちない点など言いたい事はまだまだあるが、本筋から逸れそうなのでここでは割愛。気が向いたらこのブログやTwitterで少しずつ書こうと思う。
という訳でここで一旦終わりとする。
何かあればここのコメントかTwitterに書いていただければ幸いである。以上。
アニメ「ガールズバンドクライ」について、走り書き
アニメ「ガールズバンドクライ」を視聴した。
そこまで熱中していた訳ではなかったが、
Twitterに流れてくる感想に自分の感情も流されてしまいそうなので、気持ちの整理も兼ねてここに感想を書いておく。
最終話を見た後の印象は、仁義のアニメだったなと言う感じ。
それと、仁菜に賭けてよかった、という思いもあった。
賭けるって何?って話だが、俺にはずっと引っかかっている点があった。
それは「結局こいつは音楽で売れたいの?それとも自分たちの音楽をやりたいの?」という点。
そこにどうやって答えを出すのか、ずっと不安だった。
仁菜がダイヤモンドダストに勝ちたいと言い出したり、数字を気にするようになったり、
プロを目指すようになったり、そんな様子を見ていて俺は正直苦しかった。
俺は少しだけ音楽業界にいた事があるが、業界で生き残っている人たちは、
自分の好きな事とそれで商売をする事のジレンマにうまく折り合いをつけながら続けている人がほとんどだ。
仁菜にそんな事が出来るとは思えない。納得できないものは全て跳ね除けてしまうだろうし。
(ちなみに俺は仕事が出来なさすぎて音楽業界を辞めた。笑えよ)
デカい会場ライブしたり、ダイダスより売れれば勝ちなのか?自分たちの音楽が間違ってない事の証左になるのか?
それは下手したら商業主義の道を歩みかねない。
仁菜が嫌われる事を選んでまで自分を突き通してきた先が、大衆に認められる事だとしたら…そう考えると嫌気が差した。
上手下手とか、売れる売れないというような音楽のスポーツ的側面を忌避していた俺としてはそんな思いがあった。
しかしそんな気持ちに変化が訪れる。きっかけは第8話。あの回には仁菜の覚悟が表れている。
特に、桃香が軽トラックでその場を離れようとしたところを仁菜が正面から止めるシーン。
仁菜は命懸けなのだと思った。彼女達の音楽で勝負する事に。
成功するとはどういう事か桃香に諭されてもなお、仁菜はそこに立ち向かいたいのだ。
仁菜は自分自身を、桃香の歌を裏切りたくないのだと思う。たとえ死んでも。
そんな様を見せられて、仁菜が目指している事は無茶だが、彼女なら何かやってくれるかもしれないと俺は思った。
という訳で俺は彼女に賭けた。
飛んで最終話について。これは仁菜達にとって勝ちなのか?負けなのか?
楽曲とライブの売上の話をすれば負けだろう。しかしそういう話ではないと思う。
仁菜は純粋で、どこまでも等身大で、筋の通らない事は気に食わない人間だ。
自分に嘘をつく事を死とまで表していたぐらい、真っ直ぐな人間だ。
(第9話にて智にキツい事を言われた仁菜が怒りも落ち込みもしなかった事に当初は驚いたが、
今思えば、仁菜にとってはキツい事を言われる事より智が自分に嘘を付く事の方が納得できなかったのだと思う。
それぐらい本音での対話を望んでいるのだろう)
だからこそ他のメンバーは仁菜に付いて行こうと思えただろうし、全員が納得する自信作を作り上げる事ができた。
しかし、それが世間に評価されるとは限らない。実際、楽曲の再生数もライブの集客もダイダスには及ばなかった。
その現実を前にして、事務所を退所しフリーで活動していく、という選択をした仁菜達は非常に義理堅いと思う。
自分達の音楽を突き通す、というのは悪く言えば仁菜達のエゴだ。
そのエゴに事務所を巻き込んで心中する筋合いは無い。自分達を応援している人達なら尚更。
俺としては退所というのは商売関係なく自分達の納得する音楽をひたむきに鳴らしていきたい、という意思表示と取れた。
(ちなみに俺はハードコア・パンクのミュージシャン兼ディスコード・レコードの創設者である
イアン・マッケイのDIY精神をリスペクトしているが、それに通じるものを感じ非常に感動した)
仁菜達の新曲が世間では評価されていないという事が三浦も内心では気付いていたらしいが、
だからこそ退所を受け入れる事ができたのだろうと察する事ができる。悲しいが。
(しかしエンディング映像から察するに退所後も仁菜達との繋がりがあるあたり三浦の愛を感じる)
そして物語を締め括るライブシーン、仁菜は今までのライブではしなかったような晴れやかな表情をしていた。数少ない客の前で。
彼女達は自分たちの音楽を突き通したのだ。それを負けだとは思えない。少なくとも俺は。
数字の話ではない。自分達の音楽が通用しなくても、世界に対して無力でも、その嘆きを歌う。
衝動的にギターを掻き鳴らさずにいられないような、行き場のない感情の行く先、
それが彼女達にとってのロックなのではないか。
桃香の家で突然ギターを鳴らす仁菜を見て、俺はそう思った。
たとえ世界を敵に回しても、仁菜は間違っていないと言うだろう。間違っているのは世界の方だと。
「雑踏、僕らの街」の英題が「Wrong World」なのはそういう事なのではないかと思う。
余談かもしれないが、俺も一応バンドをやっていて、対バンライブの経験もある。
音楽に勝ち負けは無いと分かってはいるが、ステージ上では負けたくないという気持ちになるし、
俺が一番カッコいいんだぞ!俺を見ろ!って張り合いたくなる時もある。
一方で他のバンドが良いライブをしていると、負けたというか、悔しい気持ちになる。
しかしそれは数字で表せる勝ち負けというよりも、俺自身が納得できているかという部分が大きい気がする。
最終話での仁菜達もそういう境地なのかなと思ったりした。
何はともあれ俺的には非常に納得できる最終話だった。以上。
近況 仙台編
5/18
実家から自転車で最寄り駅まで行き、そこからバスで仙台へ。
以前は奥羽本線と仙山線を使っていたがバスの方が早い上に快適で、なぜ今まで使わなかったんだと後悔。
仙台駅。
メカ我儘高速道路 a.k.a. しぎゅーかさんと合流。楽器屋を見て回った。

道中、ミキシングエンジニアみたいな名前だなーと思って撮った写真。
Chris Lord-Alge - Wikipedia
その後北京餃子という中華料理へ。
酒を飲み音楽やアニメや共通の地元である山形ついて熱く語り合った。

写真がこれしかなかった。焼酎のソーダ割りと水が並んでいる様子。この時の俺は見分けが付かないのが面白いと思ったらしい。
1時間ほど経ってからwipeくんが合流。相変わらずの飲みっぷりであった。空腹のwipeくんに炒め物を食わせ、北京餃子を後にする。会計が安すぎてビビった。
その足でうさぎやという居酒屋へ。写真は無い。楽しかったのは確かだが何をしたかよく覚えていない。何故かわたゆりの話になった事と何故かエルレガーデンの話になった事はギリギリ記憶にある。
5/19
この辺で日付が変わる。
終電があるしぎゅーかさんを見送り、wipeくんのフォロワーのワーペニさんがいるという事で共にMonetというクラブへ。
サカナクションの曲を中心としたDJイベントが行われており、俺はサカナクションには詳しくなかったが踊れる曲が流れまくっており大いに盛り上がった。
https://twitter.com/IVmaj9/status/1792491978053304616/video/1
踊り狂うwipeくんとワーペニさんの様子。楽しそう。
終演後もDJの方々と音楽の話をした。楽しかったのは確かだが内容を覚えていない。
Monetを後にし、勢いでwipeくんとワーペニさんと3人で勾当台公園へ。朝4時ぐらいだったと思う。皆大分酔っ払っており、空明るくてワロタとか言ってたらいつの間にか全員気絶していた。全てが面白く感じるフェーズに入っていた。

撮った記憶のない空の写真。3時57分撮影。
目が覚めたら6時過ぎ。全員ボロボロ。ネカフェに逃げ込む事に。
再度気絶して昼ごろ目覚める。ネカフェを後にし、ワーペニさんを見送り、wipeくんとサイゼリヤへ。
頭がまともに働いておらず、ずっとwipeくんの隣でしょうもないボケを言いまくっていた。酔っ払ったwipeくんの世話をする事は何度かあったが今回は逆パターンだった。
サイゼリヤで韻を踏もうとして1行しか書けなかったり、「ムキムキのアンパンマンって頼もしいよね」という話を振ったりと、かなり駄目駄目だったがwipeくんはそんな俺を温かく受け入れてくれた。懐が深い。

サイゼリヤのトイレにて。「おしり」に「リズム」という機能が付いているのがツボったため思わず撮影。
二日酔いに耐えながらパスタとミネストローネをゆっくりと平らげた後、島村楽器へ。

この方はトゲナシトゲアリのキーボーディスト、海老塚智さん。背伸びをしている様がとても可愛らしい。

ガールズバンドクライと島村楽器がコラボしていて少しアニメグッズ屋さんのようになっていた。仁菜さんが接客業…ヒヤヒヤする。
しばらくwipeさんと機材を眺めていたが酷い二日酔いのため外の空気が吸いたくなり水を買い脱出。近くの公園で駄弁りながら横になったり縦になったりトイレを探し回ったりした。
この間も「超越新幹線」「1分だけ寝る」「鳩」「鳩2」「吐きそう」「MCとアンコールがあるエロ音声」等の発言を繰り返しwipeくんを困惑させた。申し訳ないと思っている。
少し回復した後、レコード屋を見てwipeくんと別れた。一日中付き合ってくれてありがとう。
そしてその日の目的地であるBARTAKEへ。

高校時代からの音楽仲間のバンドを見に来た。

hureluというインストバンド。ドラムの黒沼くんは高校時代に地元のライブハウスで知り合って、残響系の音楽を教えてもらったり一緒にバンドを組んだりした仲。俺は高校卒業後上京したが、彼は東北に残ってこういうコアな音楽性のバンドをやってて、今回その様を見る事ができて良い刺激を受けた。
終演後も長く居座ってしまい、流れでhureluの4人・トリのAzule Orchidのギタボとベース・俺でラーメン屋に行く事に。お邪魔しました。

仙台っ子という店。海苔ラーメン。家系なのかな?美味しかった。
5/20
ラーメンを食べて0時過ぎ。
解散後ネカフェに一泊。

せっかくなのでPC使おうとしたらこれで爆笑。ちなみにこの後ブルースクリーンが表示された。インターネットができないインターネットカフェ、斬新。

仮眠を取り外に出たら雨。雨降りの月曜。始まる原因不明の熱病。

アーケードを通りなんとか濡れずにガストへ辿り着き、遅めの朝食。しらすときのこの雑炊。クーポンで税込600円。写真は撮り忘れた。



そして昼前のバスで仙台を離れ、実家へ。
ありがとう仙台。会った皆さんに感謝。楽しかった。また来ようと思う。
「STAGE」楽曲解説 歌詞編
こんにちは。坂口です。
「STAGE」楽曲解説、リファレンス編と作曲編に続いて、歌詞編です。これで最後です。
まず、歌詞全文を載せておきます。
息を切らせて底へ立つ
耳を切らせて音を描く
鉄の味がするライムと
熱を差し出す暗い向こう火が付く程
近づく鼓動
ひかりは刺す
痛みは増す生き腐れの終着点を
契る為の執着へと
ポジションが墓と成り果てると
オーディションは破瓜を綯交ぜるようステージは無常
既に噫無情
杞憂を暴く
理由を足掻く錆び付いた衝動を
絡まった後悔を
否定してみせろよ
見殺してみせろよ焼き切れる神経を
身を焦がす本能を
肯定してみせろよ
貫いてみせろよ
では、解説していきます。
息を切らせて底へ立つ
「底」はそこ、タイトルにもなってるステージの事ですね。なぜ「底」と表記しているかというと、僕にとってステージの上は決して幸せな場所ではないからです。緊張や恐怖、不安、プレッシャーに苦しめられながらステージに立ってる訳です。どん底です。まあ実際立ってみると楽しいんですが。そこに息を切らせて立っていると。
耳を切らせて音を描く
大きい音に曝されて耳を犠牲にしながら演奏している、みたいな意味ですかね。耳を切る、描くってのはゴッホのエピソードから着想を得てます。ゴッホの絵って一目見ただけで圧倒されるんですよね。あの絵の感じを音で表現したかった気持ちも少しありました。耳は大切にしましょうね。
鉄の味がするライムと
ライムってのは韻の方のライムです。「味がする」から続くので果物の方を連想しちゃいそうですが、なんか面白そうだったのでややこしくしてみました。血の味ってのは血を流すぐらい身を削って歌うぜ、みたいなニュアンスです。あとマイクに口ぶつけて出血した経験からも来てます…笑
熱を差し出す暗い向こう
ステージ上から見える景色の事ですね。観客の存在がいて熱くなるっていう。
火が付く程
近づく鼓動
ステージ上で観客やメンバーの鼓動を感じてこっちも熱くなるって感じです。ドラムを鼓動に例えていたりもします。バンドでライブする時ってドラムの存在をやけに近く感じるんですよね。僕だけでしょうか。
ひかりは刺す
痛みは増す
照明が眩しくて目に刺さるようで痛い(だがそれが美しい)って意味です。
生き腐れの終着点を
契る為の執着へと
生き腐れっていうのは本来の意味とちょっとずれてて、生きながらに腐っているみたいなニュアンスです。で、その終着点を契る、っていうのは、ややこしい言い回しですが、熱を持って生きるか、いっそ死ぬか、みたいなイメージです。じゃあその為の執着って何?って感じですけど、執着ってその中身次第でその人を生かしも殺しもするなあと思いまして、まあそういう感じです。
ポジションが墓と成り果てると
ポジションってのはそのまま自分の立場とか居る位置ですね。主役とか、バンドだったらフロントマンとか、ライブだったらセンターとか、観客からどう見えているのかとか、そういうのもひっくるめてポジションと言っています。でもライブが終わればその時の自分は死んで過去の話になってしまう訳で、また生まれ変わって心を新たに活動に向き合わなければならないのです。なのでポジションが墓と成り果てるのです。
オーディションは破瓜を綯交ぜるよう
そしてまたステージに立つためにオーディション(自分は実際にオーディションに臨む事はないですがそういう心意気で)に臨む訳です。破瓜ってのもそういう新鮮な心持ちで痛みに耐えながら行こうぜ!的なニュアンスです。
ステージは無常
前の話と繋がるんですが同じステージは二度とないって事ですね。
既に噫無情
ステージって無情…と言うか心細く感じる時があって、それを正直に歌詞に入れようと思いました。あと高校の音楽の授業で見せられたレ・ミゼラブルが心に残ってたので噫無情という形で入れました。
杞憂を暴く
僕って心配性で、ライブの前とかかなりナーバスになっちゃうんですよね。その杞憂を暴いてほしいっていう。
理由を足掻く
で、こんな思いをしながらなおステージに立っているのは何故なんだろう、と自問自答して、堂々巡りして、足掻いているというイメージです。
錆び付いた衝動を
絡まった後悔を
否定してみせろよ
見殺してみせろよ
何かをしたいって衝動って時間と共に薄れていくじゃないですか。だから過去のものになってしまった衝動を「錆び付いた衝動」と言っています。で、衝動のままに行動していく中で失ったものもあって、それで後悔もするだろうけど、それらを思い切って見殺して、否定して、また新しく衝動に駆られてやろうっていう。
焼き切れる神経を
身を焦がす本能を
肯定してみせろよ
貫いてみせろよ
神経が焼き切れるぐらいの熱量で表現して、本能的に直感的に目の前の事に身を焦がしていたいなっていう。肯定してみせろ、ってのは自分へのメッセージでもあります。自分は冷めてるところもあるので、もっと熱くありたいっていう。そして貫き通して燃え尽きたいなって感じです。
★以下、インスパイア元になった映画に関する解説です。ネタバレを含みます。
